2016年11月13日日曜日


●2016年11月13日(日)
秋田県秋田市市章雨水デザインマンホールのふた
秋田県の県庁所在地で人口およそ31.5万人の中核市です。
秋田の由来は、日本で初めて書かれた歴史の本「日本書紀」に、秋田の地名が「齶田(あぎた)」と出てきます。
7世紀の中ごろ阿部比羅夫が水軍を率いてやってきたころのことです。
その後、まもなくアギタは「飽田」に書きかえられます。
「飽田」は、低湿地を意味する悪土などからきた悪田から生まれた地名とも言われています。
やがて天平時代には、「秋田」と書かれるようになりました。
マンホールのふたの真中には「下水」の文字の中に秋田市の市章がデザインされています。
秋田市の市章は昭和3年6月に制定。的に「矢留」の形と、秋田市の「田」の字をあらわす。
「矢留」とは旧秋田藩主佐竹氏の居城「久保田」の別名。(秋田市HPより引用)
周りには東北三大祭りの「竿灯」がデザインされています。
マンホールのふたの右側の竿灯には「秋田市の市章」、左側の竿灯には秋田を治めた「佐竹氏の家紋」デザインされています。




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