2017年5月10日水曜日

●2017年5月10日(水)富山市下水道マンホールのふた

富山市は、富山県中央部から南東部に位置する人口約41.7万人である。
市域は、富山県のおよそ29.2%を占め一つの市町村が県の面積の占める割合が日本一となっている。
また、日本の県庁所在地では日本第二位、全国の市でも11位の面積である。

富山の地名の由来は、Wikipediaによると以下のとおりである。
「トヤマ」の地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、応永5年5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状[2] が初見である。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、「外山」の字が当てられたとする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。また、慶長年間以前に成立したことが確実な文献史料のタイトルに『富山之記』がある。この他には以下のような説がある。
  • 立山連峰を仰ぐことができ、山に富んでいることから富山(とやま)と呼ばれたため。
  • 元々は藤居山(ふじいやま)という地名だったが、富山寺(ふせんじ)[注釈 2] という寺院があったのでに次第に富山(とやま)と呼ばれていったため。
  • 富山城が築城された際に、外山から縁起よくするために富山に改名された。ただし富山城は江戸初期まで「安住城」「安城」と呼ばれていた、とする説もある。
  • 深山に対して外山(とやま)と呼ばれたため。


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