2016年7月17日日曜日

●2016年7月17日(日)
広島県広島市市章汚水マンホールのふた

広島市は広島県南西部に位置し、人口約119万人(2016年6月1日現在)の政令指定都市である。

広島の地名の由来は以下の通りです。
広島という名称は、戦国時代末期の1589年、この地を支配した戦国大名の毛利輝元が築城に際して命名した。第二次世界大戦後に新字・現代かなづかいになる以前は「廣島(廣嶋)」と表記した。
輝元の時代、この地は太田川河口デルタの形成途上にあり、箱島(今の白島地区)や日地島(比治山)などの中洲が点在する五箇庄(ごかのしょう)と呼ばれていた。これらの中で最も広い島(実際には2番目)に築城したことから「広島」と命名したとされるが、輝元には別の意図もあった。広島築城事業は、当時120万石の「西国の雄」毛利家が、本拠地をそれまでの吉田郡山城から移して新たに築こうという大事業であり、城の名称には家運長久の願いが込められた。毛利氏は代々、大江広元の末裔であることを誇りとしており、「元」のほか「広」も諱に使用する字の一つとしていたことや「広大」「末広」の良縁起から「広」の字を冠することとし、「島」については城普請案内を務めた普請奉行の福島元長の名字からとって命名した。

真中にデザインされている、市章は旧芸州藩の旗印であった「三つ引」(三)にヒントを得て、これに川の流れを表現するカーブをつけて、水都広島を象徴したもので、明治29年5月19日に制定されました。


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