2022年5月8日日曜日

 ●新潟県新井市市章デザインマンホールのふた

新井市は、平成の大合併により妙高市となっており、現在も妙高市の中核をなしています。

マンホールのふたの真ん中には新井市市章(「新」の下に小さく「井」の字がありそこから「新」の字を囲んでいます。市章の周りには市の花である「やまつつじ」がデザインされています。





2022年5月6日金曜日

 ●新潟県中頸城郡柿崎町汚水デザインマンホールのふた


この町は平成の大合併により上越市柿崎区となりました。マンホールのふたのデザインは、日本海に浮かぶヨットとバックに米山、周りには、町の花であるハマナスです。
撮影した日も海岸にはハマナスが咲いていました。



2022年4月29日金曜日

●埼玉県さいたま市合流デザインマンホールのふた

●埼玉県さいたま市合流デザインマンホールのふた

この蓋がある場所には、ついこの間まで、浦和市のデザインマンホールのふたがありました。旧中山道沿いから、浦和駅方面へ入る小路の入口にあります。
今まで見た同じデザインのふたと比べちょっと色が鮮やかです。
さいたま市内のふたの交換も徐々に進んでいるようです。



2018年8月2日木曜日


●2018年8月2日 新潟県長岡市合流カラーデザインマンホールのふた
みなさんこんばんは。
すっかりご無沙汰してましたがお元気ですが?
今日と明日は日本三大花火の一つである長岡の花火大会が行われています。
先程、テレビで中継も行われていました。
この長岡市は、新潟県の内陸部にあり、市の中を信濃川が流れています。
新潟県下第二位の約27万人の人口を擁する、中越地区の拠点都市です。
今回、アップするマンホールのふたのデザインは、昔から長岡市内にあるふたのデザインですが、近年マンホールカードの普及により、色がつけられ大手通りの歩道上にあるものです。
デザインは、桜、長岡郷土博物館、火焔土器、桜、長岡郷土博物館、長岡の花火です。


2017年9月17日日曜日

●2017年9月17日 長野県長野市市章下水道マンホールのふた

市章の意味は長野市HPによると以下の通りです。
長野市の頭文字の「長」を単純化し、円形に図案化したもので、新しい都市のイメージを、重みと格調をもって、近代的な形で表しています。市章の部分は青竹色。この色は、青空、澄んだ水を表す「青」と木々や草花を表す「緑」の融合した色で、豊かな自然と共生しながら飛躍発展する姿を象徴します。

これは、市民の融和と団結により、未来に向かって飛躍発展する大長野市の姿を象徴しています。

(昭和42年3月制定)


2017年6月12日月曜日

●2017年6月12日(月) 山梨県大月市市章汚水ハンドホールのふた

このハンドホールのふたを初めて見た時は、あーっつ!富士山がたくさん!さすが山梨県!なんて思っていましたが、その後他の場所でも見つけてちょっとがっかりしました。
でも小さい富士山がたくさんあってご当地ふたに見えるのはおとくかもしれません。(笑)

真中にデザインされている市章の由来は以下の通りです。(大月市HPより引用)
「大」を天に向けはねさせて全体を形づくり、力強さを、また中央の丸を「月」になぞられ市民の和による発展を象徴、図案化したものです。
昭和29年10月1日制定


2017年5月21日日曜日

●2017年5月21日(日) 福井県県章九頭竜川流域下水道マンホールのふた

九頭竜川は福井県嶺北地方を流れる一級河川です。

九頭竜川は福井県と岐阜県の県境にある油坂峠付近に端を発し、九頭竜ダムを経て大野盆地・勝山盆地を北西に進み、福井平野を北進し、坂井市で日本海に注ぎます。


流域の自治体:大野市、勝山市、吉田郡永平寺町、福井市、坂井市

九頭竜の由来についてはこちらをご覧ください。
http://www.tukinohikari.jp/jinja-fukui/fukui-kuzuryu/index.html


2017年5月15日月曜日

●2017年5月15日(月) 石川県県旗標章消雪マンホールのふた

石川県は石川県のHPによると
「本県は北陸地方の中部に位置し、東は富山県及び岐阜県に、南は福井県に接し、北は能登半島となって日本海に突出しています。地形は、南西から北東へ向かって細長く、東西100.9km南北198.4km、海岸線は約580.9kmの延長を有し、現在金沢市をはじめ11市8町の計19市町からなっています。」

真中にデザインされているのは、県章の告示がないため、県旗のデザイン部分を「県旗標章」としてい使用しています。
この県旗標章は、石川の文字とその地形をデザインしています。

人口は、2017年4月1日現在約115万人です。

県鳥は、白山を中心に生息し、国の天然記念物である、「イヌワシ」です。
県の木は、能登地方に多く、輪島漆器の素材にも利用されている、「アテ(能登ヒバ)」です。
郷土の花は、白山に群落がみられる高山植物である「クロユリ」です。

石川県四季の魚
春 サヨリ、カレイ
夏 イカ
秋 アマエビ
冬 ズワイガニ・コウバコガニ、ブリです。

以上石川県HPより引用。


2017年5月10日水曜日

●2017年5月10日(水)富山市下水道マンホールのふた

富山市は、富山県中央部から南東部に位置する人口約41.7万人である。
市域は、富山県のおよそ29.2%を占め一つの市町村が県の面積の占める割合が日本一となっている。
また、日本の県庁所在地では日本第二位、全国の市でも11位の面積である。

富山の地名の由来は、Wikipediaによると以下のとおりである。
「トヤマ」の地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、応永5年5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状[2] が初見である。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、「外山」の字が当てられたとする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。また、慶長年間以前に成立したことが確実な文献史料のタイトルに『富山之記』がある。この他には以下のような説がある。
  • 立山連峰を仰ぐことができ、山に富んでいることから富山(とやま)と呼ばれたため。
  • 元々は藤居山(ふじいやま)という地名だったが、富山寺(ふせんじ)[注釈 2] という寺院があったのでに次第に富山(とやま)と呼ばれていったため。
  • 富山城が築城された際に、外山から縁起よくするために富山に改名された。ただし富山城は江戸初期まで「安住城」「安城」と呼ばれていた、とする説もある。
  • 深山に対して外山(とやま)と呼ばれたため。


2017年5月8日月曜日

●2017年5月8日(月) 新潟県新潟市市章デザインマンホールのふた(喜怒哀楽)

このマンホールのふたは、真中に新潟市の市章をその周りに4分の1の切り分けたスペースには喜怒哀楽の文字とともにその文字のあらわす人の顔がデザインされています。
このデザインは、どういう意味を持っているかは不明ですが、見ていて楽しいですね。


2017年5月7日日曜日

●2017年5月7日(日)神奈川県県営水道空気弁マンホールのふた
マンホールのデザインは、神奈川県の花「ヤマユリ」を中心に据え、周囲を神奈川県の木である「イチョウ」で囲んでいます。
撮影地が山の中だったからでしょうか?神奈川県の鳥である「カモメ」がいません。
3役そろい踏みしているマンホールのふたもアップします。



2017年5月6日土曜日

●2017年5月6日(土)東京都下水道合流マンホールのふた
このふたには、都の花である「ソメイヨシノ」を中心にその花びらの間を都の木である「イチョウ」の葉が埋めています。
桜の花の真中には、東京・下水道の文字が入っています。
この部分、最近のふたでは色のついたチップのようなものが埋め込まれています。



2017年3月26日日曜日

●2017年3月26日(日)千葉県木更津市カラーデザインマンホールのふた

木更津市は、狸と和尚さんとの掛け合いの舞台となる証誠寺があり、狸と月と歌詞がデザインされています。

以下木更津市HPより引用

千葉県木更津市は、南房総・東京湾岸に位置する暖かなまち。
東京湾アクアラインのたもとには盤洲干潟が広がり内陸部には万葉集にも登場する緑豊かな上総丘陵があります。
積雪はほとんどなく、コンディションが良い日には富士山を望むことができます。

きさらづの語源は古事記の「きみさらず伝説」にあるという説があるほど、歴史あるまちです。江戸時代には町人文化も流入し、木更津を全国的に有名にした歌舞伎「切られ与三郎」や木更津甚句が誕生しました。港町として栄え、昭和後半はカーフェリーも活躍。その後、陸上交通でも館山自動車道・圏央道(首都圏中央連絡自動車道)・東京湾アクアラインがクロスする、今も昔も交通の要となっています。童謡「証城寺の狸ばやし」の舞台の地として有名ですが、最近では、テレビドラマ「木更津キャッツアイ」や、人気ロックグループ氣志團の出身地としても注目を浴びています。

以上木更津市HPより引用


2017年1月1日日曜日

●2017年1月1日(日) 埼玉県さいたま市市章合流カラーデザインマンホールのふた

みなさん新年明けましておめでとうございます。
本年も各地のマンホールのふたを紹介していきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

2017年初のふたの紹介は、さいたま市のカラーデザインマンホールのふたです。

さいたま市は埼玉県南東部に位置し、古くから中山道の宿場町として栄え、現在は東北、上越、北陸新幹線の通る交通の要衝となっている、人口約127.5万人の政令指定都市です。
さいたま市は、大宮市、与野市、浦和市が合併して2001年5月に誕生しました。
その後、2005年4月に岩槻市との合併により現在の姿となっています。

このマンホールのふたの真中にデザインされている市章は、さいたま市のHPによると
「さいたま市の頭文字「S」をモチーフに、未来に向かって人もまちもいきいきと前進するイメージのデザインです。「S」を囲むように弧を描くことで、市民を暖かく包みながら共に発展していくこと、輪(和)が広がり融和していくことを表現しています。
 基調となる緑色は、見沼たんぼに代表される豊かな自然との調和を示しています。」

また、このふたにはさいたま市の木である「ケヤキ」、さいたま市の花である「サクラソウ」そしてさいたま市の花木である「サクラ」ががデザインされています。


2016年12月18日日曜日

●2016年12月18日(日)群馬県高崎市消火栓マンホールのふた

高崎市(たかさきし)は、関東地方の北西部、群馬県中部よりやや南西に位置する中核市。旧群馬郡・碓氷郡・多野郡(多胡郡・緑野郡)・甘楽郡(1900年(明治33年)の市制当時の区域は旧群馬郡)。平成の大合併により、群馬県内では最大の人口を擁する都市となった。

古くから交通の要衝で、中山道(国道17号・国道18号)と三国街道(群馬県道25号高崎渋川線)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と北陸新幹線の分岐点ともなるなど、全国有数の交通拠点都市である。新幹線の停車する高崎駅は群馬県の県庁所在地前橋市の玄関口ともなっており、群馬県の交通の中心地である。平成の大合併では、倉渕村、箕郷町、群馬町、新町、榛名町、さらには吉井町を編入し、広大な市域に県内一の人口を擁するようになった。都市圏人口は約53万人で、都市圏人口としては県内一の規模である[注釈 1]。公示地価では、高崎市が商業地・住宅地とも県内最高地点を占めている。市の中心地域(中心市街地)は旧群馬郡高崎町を中心とする地域である。
江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどである。鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名として留めている。 現代でも県内有数の商業都市として盛えている。また、高崎郊外に位置する問屋町は、日本初の郊外型問屋団地である。
政治的には、本市から自民党の政治家(総理大臣については本市から3名)を多く出しており、「自民王国」としても有名である[要出典]。
日本一のだるまの産地であり、国道18号沿いにはだるまの生産工場が集中している。また、数少ないオーケストラのある地方都市であり、高崎マーチングフェスティバルが開かれるなど、音楽に関する活動が盛んであることから、高崎市は「音楽のある街」と名乗っている。また、高崎フィルム・コミッションにより、ドラマ・映画・プロモーションビデオ等の撮影を誘致しており、しばしば高崎の市街地や学校などが登場する。毎年、高崎映画祭を開催するなど、音楽以外の芸術・文化活動も盛んである。

以上WIkipediaより引用


2016年12月11日日曜日

●2016年12月11日(日)栃木県足利市市章合流マンホールのふた
足利市は栃木県の南西部にある人口約15万人の市です。

足利市は古くから織物のまちとして知られていますが、近年はアルミや機械金属、プラスチック工業などを中心に、総合的な商工業都市になっています。

マンホールのふたの真中にデザインされている市章は足利市のHPによると以下のとおりです。

 日本最古の書物『古事記(こじき)』に出てくる『倭建命(やまとたけるのみこと)』の御子(みこ)、『足鏡別王(あしかがみわけのきみ)』が足利市の地を治めたという言い伝えから、古鏡(神鏡)を輪郭にして中央に『足』の文字を配しています。

 大正3年1月14日、町章として制定したものを、大正10年1月1日の市制施行後も市章としています。

2016年12月4日日曜日

●2016年12月4日(日)茨城県古河市市章汚水マンホールのふた
古河市は茨城県南東部にある市です。
今回、紹介するマンホールンもふたにデザインされているのは初代(平成の大合併前)の市章です。

この市章は古河の「古」を太陽と鷲の形に図案化したものです。


2016年11月27日日曜日

●2016年11月27日(日)福島県県章原町工業用水道排泥室マンホールのふた
原町は福島県の太平洋岸北部にあった市です。
平成の大合併後は、南相馬市の中核をなす街となっています。
この工業用水道の名前は現在はなく、相馬工業用水道の一部となっているようです。


2016年11月20日日曜日

●2016年11月20日(日)山形県寒河江市汚水デザインマンホールのふた

 寒河江市は、山形県のほぼ中央に位置し、山形市から20キロメートル圏内にあります。西村山地域の中核として発展し、市内を庄内地方と県都・山形市を結ぶ国道112号が走り、また、山形県の中央を横断し、庄内地方と宮城県とを結ぶ山形自動車道には、寒河江インターチェンジと寒河江サービスエリアスマートインターチェンジでアクセスしており、県内高速交通網の要衝となっております。
 山形県の母なる川・最上川と清流・寒河江川が、市街地を包むように流れ、月山と葉山、遠くに蔵王、朝日連峰を望み、四季の変化に富んだ美しい景観と豊かな自然環境に恵まれ、千年以上もの間育まれてきた歴史や文化を有しております。

以上寒河江市HPより引用

寒河江市の地名の由来は以下のように諸説あるようです。
# 平安時代に京都藤原家の荘園として開かれた。相模の国寒川(さむかわ)からの移住者が寒河江周辺を郷里の寒川周辺と似ていたため「寒川」と呼び、河川が増水して入江になった名残で「寒河江」となった。

# これは難読地名の一つで、山形市の北西約15kmにあるサクランボで有名な町ですね。この寒河江という地名は単純に考えれば「寒い川のほとり」ということなのでしょうが。そもそも「サガ」は朝鮮由来の名で、「相模」「寒川」あたりに由来する地名と言われています。

※ 以上は、山形新聞社刊 やまがた地名伝説によるものだが、一方、「地名の秘密 そんな歴史があったのか」武光誠著では以下のように述べている。

# 鎌倉時代の始めに大江広元がこの地の地頭に任命され、彼が「寒河江」と名付けた。「さがえ」と言う地名は「さかえ」がなまったものと言われる。集落と集落を分ける川を「境川」と言うが、寒河江川は以前は境川だったと推測される。源頼朝に気にいられた学者だった大江広元は自分の領地に優雅な名前をつけようとした。その川は、京や鎌倉の川よりもはるかに寒かった。従って、「寒い河」に自分の名字の「江」の一字をつけて「寒河江」とした。広元の子孫でこの地を本拠地とした一族は「寒河江」を名乗ったが後に最上義光に滅ぼされる。また、子孫のうち安芸に移り住んだ一族は毛利を名乗った。

# 山形県の地名辞典(平凡社)によると、寒河江の地名は、関東地方の寒川農民が移民として入り、定住するようになり、その場所が入江が多かったため、はじめは「寒川の江」と呼び、後に「さがえ」と呼ぶようになった。【日本の中の朝鮮文化(12)陸奥・出羽ほか 金達寿 講談社】

# 延喜式の佐芸(さき)から転訛した。

# 毎春河川が雪解け水で満水となり、一面が大河のようになる所から。

※ だいぶ違うんだけどどっちが本当なのか?昔の話ってそういうもんなんだろうなぁ。

# 「さか(傾斜地)」+「え(川)」から転じたもので、「傾斜地の川」のこと。また、「さが(険しい地形)」+「え(川)」で「険しい谷を流れる川」のこと。【市町村名語源辞典 溝手理太郎 東京堂出版】
※ 寒河江川が先なのか?それとも寒河江の地名が先なのか?

# 「さっかい(箸)」など、アイヌ語の残存地名というが、発音があわない。願望地名の「栄」の転か。古地図には「さか江」と濁っていない。また、寒河江川は古代の最上郡と村山郡をわける境川の意味にもとれる。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】

以上http://folklore2006.jp/timei200/0003.htmより引用

マンホールのふたの真中には、寒河江市の木であり特産物のさくらんぼ、周りには寒河江市の花であるツツジがデザインされています。



2016年11月13日日曜日


●2016年11月13日(日)
秋田県秋田市市章雨水デザインマンホールのふた
秋田県の県庁所在地で人口およそ31.5万人の中核市です。
秋田の由来は、日本で初めて書かれた歴史の本「日本書紀」に、秋田の地名が「齶田(あぎた)」と出てきます。
7世紀の中ごろ阿部比羅夫が水軍を率いてやってきたころのことです。
その後、まもなくアギタは「飽田」に書きかえられます。
「飽田」は、低湿地を意味する悪土などからきた悪田から生まれた地名とも言われています。
やがて天平時代には、「秋田」と書かれるようになりました。
マンホールのふたの真中には「下水」の文字の中に秋田市の市章がデザインされています。
秋田市の市章は昭和3年6月に制定。的に「矢留」の形と、秋田市の「田」の字をあらわす。
「矢留」とは旧秋田藩主佐竹氏の居城「久保田」の別名。(秋田市HPより引用)
周りには東北三大祭りの「竿灯」がデザインされています。
マンホールのふたの右側の竿灯には「秋田市の市章」、左側の竿灯には秋田を治めた「佐竹氏の家紋」デザインされています。